新庄 耕『狭小邸宅』

リアルな営業現場の描写と、上司たちの心に刺さる名言に定評のある作品です。
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新庄 耕『狭小邸宅』

主人公の松尾は明王大を出て不動産会社に成り行きで就職、営業に配属される。
そこがもうブラックで暴力、パワハラの巣窟。売れない営業マンには地獄でしょうし、実際に辞めていきます。
そのあたりの描写が妙にリアルです。さすが第36回すばる文学賞。

まずは自分が売れない営業だと思って、自分の目の前で同僚の武田さんに対して繰り広げられている光景としてイメージしてみましょう。

「申し訳ございませんでしたじゃなくて売りますだろ。売る気あんのかよ、てめぇはよ」
武田さんは俯いたままだった。
「あります」
斉藤課長の武田さんへのいびりは、このところ毎日つづけられている。
フロアにいる誰もが余計な火の粉が降りかからぬよう黙していた。
それは武田さんに向けられた矛先がいつ自分のところに来るかもしれないという危惧だけでなく、対象が誰であれ、嵐が過ぎ去るのをひたすら耐えることこそが、波風立てることなく事態を収束させる、一番の近道なのだという経験に拠っているようだった。
「あったらとっくに売れてんだろ。売る気ねぇならさっさと辞めろ、もうお前なんかいらねぇんだから」
吐き捨てるように言って、斉藤課長は書類に目を落とした。
フロアの淀んだ空気が、重く張りつめたものに変わった。



続いて、社長のありがたいお言葉をどうぞ。

「お前らは営業なんだ、売る以外に存在する意味なんかねぇんだっ。売れ、売って数字で自己表現しろっ。いいじゃねえかよっ、わかりやすいじゃねぇかよ、こんなにわかりやすく自分を表現できるなんて幸せじゃねえかよ、他の部署見てみろ、経理の奴らは自己表現できねぇんだ、可哀そうだろ、可哀そうじゃねえかよ。売るだけだ、売るだけでお前らは認められるんだっ、こんなわけのわからねぇ世の中でこんなにわかりやすいやり方で認められるなんて幸せじゃねぇかよ、最高に幸せじゃねぇかよ」p.87〜88


もう、なんというか、読むだけで…

とはいえ、さっぱり売れない松尾は、途中で転勤を命じられる。その転勤先の上司・豊川課長は他の暴力系上司とは全く違うタイプ。

自分が転勤早々、上司に言われたと想像しよう。

「他に仕事がなくてこの業界に入る奴はたくさんいる。だが、売れない奴は辞めていく。そういうもんだ。それなのに、お前は辞めない。今のお前の稼ぎでいいなら他のもっと楽な仕事があるだろ。適当にやっても何も言われない仕事なんて掃いて捨てるほどある。それに明王出て、それぐらい若ければいくらでも拾ってくれる、何故つづける」p.96

「ごく稀にお前みたいな訳のわからん奴が間違えて入ってくる。遊ぶ金にしろ、借金にしろ、金が動機ならまだ救いようがある、金のために必死になって働く。人参ぶら下げれて汗をかくのは自然だし、悪いことじゃない。人参に興味がなくても売る力のある奴はいる、口がうまいとか、信用されやすいとか、度胸があるとか、星があるとか、いずれにせよ売れるんだから誰も文句は言わない。問題は、強い動機もなく、売れもしない、お前みたいな奴だ。強い動機もないくせに全く使えない。大概、そんな奴はこっちが何も言わなくても勝手に消えてくれる。当然だ、売れない限り居心地が悪い。だが、何が面白いのか、お前はしがみつく」p.96-97

「自意識が強く、観念的で、理想や言い訳ばかり並べ立てる。それでいて肝心の目の前にある現実をなめる。一見それらしい顔をしておいて、腹の中では拝金主犠だ何だといって不動産屋を見下している。家ひとつまともに売れないくせに、不動産屋のことをわかったような気になってそれらしい顔をする。客の顔色を窺い、媚びへつらって客に安い優しさを見せることが仕事だと思ってる」p.97


そう、「痛いところを突く」系の上司である。自分が自分自身に一番隠したいところ、認めたくないところを白日の下にさらしていく。肉体的な暴力や暴言とは別の意味でこたえる。

そして、極めつけはこのセリフ。特に中二病を患っている方は読まない方がよいかも。

「いや、お前は思ってる、自分は特別な存在だと思ってる。自分には大きな可能性が残されていて、いつか自分は何者かになるとどこかで思ってる。俺はお前のことが嫌いでも憎いわけでもない、事実を事実として言う。お前は特別でも何でもない、何かを成し遂げることはないし、何者にもならない」p.98


思わず否定しちゃった?じゃ、続きをどうぞ。

「否定するのか、本当に否定できるのか。俺はそれでかまわない。だがな、お前は本当に自分が嘘をついていないと自分自身に言い切れるのか」p.99



その後、偶然、会社としては懸案だった蒲田にある物件が売れ、営業に同行した豊川の痛いところを突くが的確なアドバイスで松尾は家を売れるようになる。そう、実は豊川はできる上司(営業マン)なのである!
そうして、これが営業力の上がった松尾の姿である。

「えっと、どうすればいいんですか」
普段は責任ある仕事をこなし、難しい判断を下しているに違いない半田さんが子供のような質問をする。当惑した顔でこちらを見ていた。
僕は、満面の笑みを浮かべて、「買いましょう」と言った。
この一言が言えなかった。検討して下さい、とかお願いしますとか、核心を避け、婉曲的な表現で濁してしまう。全く売れない営業マンが口にする言い回しを使ってばかりいた。客に対してはっきりものを言うことが何となく悪いような気がしていた。(p154-155)



たしかに「買いましょう」は、全く売れない営業マンには言えない言葉な感じがします。でも、自分のお金を使うのではなく、むしろ自分の利益になることを言っているわけですし、あとで客が不幸になっても責任をたないでしょう。それができるようになるということは、たぶん大事な何かを失っているのではないかと。

豊川課長のありがたいアドバイス。

惚れた女はやめとけ。この仕事に女は虚しい。(p.159)



そして不安。

このままずるずる行けば、あらゆることに好奇心を持てなくなるような気がする。何に対しても感動しない抜け殻のような自分がすぐそこにいる。体と金さえあれば、たしかにどうにかなるのかもしれない。しかし、いずれ訪れようとしている虚無を想像すると、その粋がりも崩れ落ちた。

だけど、もともときちんと会社選びしないでなんとなくで就職したから、売れない営業マンのままだったとしても本質的には変わらないような気がするけど…って、つめたいかな?

そうして最後はよくわからない終わり方で終わる。

そういえば最初の方で、佐伯さんという四十歳の未婚女性で資産家が登場し、売れない営業でボロボロになっている主人公に救いの手を差し伸べ、最後に貸しにしておく旨話して別れるという、いかにもこの後ストーリーに絡んでくる伏線バリバリフラグ立てまくりだったのが、その後全く登場しなかった。テレビドラマだったら最初から登場しないか、主人公が佐伯さんに「借りを返す」シーンを主人公の彼女に見られてしまい…みたいな展開で出番を増やしているはずだ。

さて、売れる営業マンの彼は、はたして幸せなのか、こんな人生でいいのだろうか。
でも、彼の中では結論が出る気がする。それは過去の上司の言葉として、本文にちゃんと書いてある。

「おい、お前、今人生考えてたろ。何でこんなことしてんだろって思ってたろ、なぁ。なに人生考えてんだよ。てめぇ、人生考えてる暇あったら客みつけてこいよ」(p.20)

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