湯気は水蒸気じゃないけれど

湯気などを「水蒸気」と呼ぶ人がいますが、そんな人に対して鬼の首を取ったように公開の場で
「それは違うよ。液体の水滴だ」といちいち突っ込みを入れる人もたまにみかけます。

いや、たしかにその通りなんだけど。水蒸気は見えないし。

でも、なんだかなぁ。
理科の授業とかそういう文脈ではなく、日常の話で話の本質は伝わっているのなら、
「水蒸気」が枝葉の部分だったなら、スルーという選択肢があってもいいんじゃないかと思うのですが。
どうしても「お前は間違っているが、おれは正しいこと知ってるぜ」的なマウンティングのように見えてしまうのです。


たとえば「藁にもすがる気持ちで助けてもらいたいのです」といわれても
心底困っている様子がみてとれるならば、(他にも嫌いな奴とかでなければとかいくつかの条件はあるかもしれませんが)、まず、手助けできないかと思うじゃないですか。
そこを「『藁』は、頼りにならないもののたとえで、お願いする相手に用いるものではない」と意気揚々と突っ込むのは(特に助ける気がある場合)何なんだ感あふれます。

あるいは「みだりにさわってはいけません」というのを
「みだらにさわってはいけません」と言い間違えているのに気づいても
それを指摘するのは勇気がいりませんか?

言葉は、意志を伝える手段といわれます。それならば、イイタイコトがほぼ(きっと100%は無理です)正しく伝われば、つまり目的が達成できれば、言葉、すなわち手段が完璧でなくても結果オーライといえます。しかも言葉の間違いを指摘するというのは前提として、当初の目的である「正しく意志が伝える」ことができているからこそ可能になるわけで。

間違った言葉を話すことを許さない雰囲気が、自由な発言(間違ったことを含む)を抑制しなければよいのですが。
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