行幸-近現代の皇室と国民-

この記事が更新される頃にはもうとっくに展示期間が終わってしまいましたが、国立公文書館、令和元年度秋の特別展「行幸-近現代の皇室と国民-」です。上皇上皇后両陛下や秋篠宮皇嗣同妃両殿下までもがご覧になられました
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最初に「行幸」などの用語解説がありました。宮内庁HPを基に作成ということですが、用語集にはなかった言葉も紹介されていました。

千草の花 明治13年 201-0728
「千草の花」は、御歌所初代所長、歌人として活躍した高崎正風が、 北陸・東海道の巡幸が終わった後、道筋の人々が作った和歌や漢詩、 文章などを集め、明治13 年(1880)に刊行した書籍です。和歌や漢詩 の素養のある人々の作品が収められる一方で、各地の子どもたちが 書いた作文も多く採録されています。展示資料は新潟県の子どもが 天皇を迎えて書いた作文です。
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京都への行幸(大礼記録巻六十) 大正4年 礼00229100
 大正4年(1915)11月6日、天皇は儀式が行われる京都へ行幸されました。展示資料は6日の動きについて書かれた部分です。当日は、午前3時30分という早い時間から、様々な予定が組まれていたことがわかります。
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鹵簿ロボ(第一種大礼記録・写真帖一) 大正4年 礼00301100
 展示資料は、京都への恐慌の際、鹵簿(天皇が移動するときの行列)が宮城前広場(現在の皇居前広場)に建設された奉祝門を通過する様子を写した写真です。写真中央の飾りのついた馬車が御料車(天皇が使 用される車両)です。
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絵図(大正大礼記録絵図二)  大正4年 礼00313100
 大礼記録には、彩色された絵図が含まれています.資料は、檜扇ヒオウギの表、裏の絵図です。 とても華やかな絵柄が描かれていたことがわかります。
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御裂地(御裂地四)  大正4年 礼00308100
 大礼記録には、儀式の際に使用された装束などの生地見本が含まれています。展示資料は、天皇が重要な儀式の際に着用される装束 「黄櫨染御袍コウロゼンノゴホウ」 の生地見本です。生地の色は黄色がかった茶色もしくは赤みがかった黄色と言われ、表面には桐、竹、鳳鳳、麟麟の文様が見られます。
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東宮職日誌大正十二年  宮内公文書館所蔵  24681
 大正12 年9 月の東宮職(皇太子に関する事務をつかさどる)の職務日誌です。9月15日の記述には、皇太子が被災地を視察されたこと が書かれています。当日、皇太子は午前6 時に赤坂離宮を御出門、九 段や上野、三宅坂の参謀本部内に置かれた戒厳司令部を経て、8時40 分に還啓されました。 宮内公文書館所蔵
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全国主要都市戦災概況図東京  昭和20年12月 昭46総00176100
 昭和20 年12 月、戦災の概況を復員帰還者に知らせるために、第 一復員省資料課によって、全国主要都市戦災概況図が作成されまし た。当時帰還しつつあった復員軍人軍属が内地に上陸するにあたり、多くの人々が自分の故郷の戦災について関心を持っていたことから、 作成が進められました。展示資料は東京の空襲被害を記載した図です。
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新日本建設ニ関スル詔書御署名原本 昭和21年1月1日 御29430100
昭和21 年(1946)1 月1 日、「新日本建設ニ関スル詔書」が発せられ ました。詔書の内容から、「人間宣言」と呼ばれることもあります。 詔書では、敗戦後の困難な状況の中でも、天皇は国民とともにあり、 その関係は「終始相互ノ信頼ト敬愛」 によって結ばれ、「単ナル神話ト伝説」によるものではないことが述べられています。 その後、同年2 月から、戦後巡幸が開始され、 昭和29年までに、当時、米軍の施 政権下にあった沖縄県を除く都道府県を行幸されました。
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内閣総理大臣賞下付願 昭和39年10月22日 平3総00964100
 展示資料は、国際身体障害者スポーツ大会に対して内閣総理大臣賞を下付することについての文書です。同賞の下付については、身体 障害者スポーツ競技会の推進に尽力した国際ストークマンデビル競技委員会会長のルートヴィヒ・グッドマン博士より、大会振興のため、特に要請があったことが書かれています。その後、トロフィーが作成され、卓球男子シングルスA2級で優勝したイギリスのテー・テーラー選手に授与されました。
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玉座
  展示品は、旧東京駅丸の内駅舎貴賓室「松の間」に置かれていた玉座です。各パーツを組み合わせるのではなく、1本のケヤキ材から削り 出した一木造りで極めて貴重です。表張りは 西陣織で、中のクッション材は馬の尻尾の毛を詰めているといわれています。 JR東日本東京駅駅長室所蔵
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皇位継承
昭和64年(1989)1 月7 日、 天皇の崩御により、同日、皇太子明仁親王殿下が皇位を継承され、御即位されました。 また、皇位の継承に伴い、「元号法」 に基づいて、昭和64年1 月7 日、元号を 「平成」と改める政令が閣議決定されました。また、この政令は、公布の翌日である1 月8日から施行することとされました。 新元号の発表時には、「平成」は、『史記』五帯本紀ゴテイホンギの「内平かに外成るj及び『書経ショキョウ』 大禹謨ダイウボの「地平かに天成る」を典拠として、「国の内外にも天地にも平和が達成される」という意味がこめられていることが、小測恵三内閣官房長官(当時)により説明されました。
 平成2年(1990)11月12 日、「即位礼正殿の儀」が国の儀式として、皇居宮殿において行われました。「即位礼正殿の儀」は、天皇陛下が御即位を公に宣明されるとともに、その御即位を内外の代表がお祝いする儀式で、『即位礼』の中心的儀式です。この儀式には、国内各界の代表はもとより世界158 か国からの元首、祝賀使節並びにEC 及び国際連合 の代表など約2, 200名が参列しました。

【昭和→平成】
皇位継承の内閣告示について 昭和64年(1989)1月7日  内閣官房所蔵
 皇太子明仁親王殿下が皇位を継承されたことを、内閣告示をもって公示することを閣議決定した文書。
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元号を改める政令ご署名原本 昭和64年(1989)1月7日  内閣官房所蔵
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【平成→令和】
万葉集 寛永20年 特026-0005(16/44)
 元号「令和」の出典となった『万葉集』巻五「梅花歌卅二首」の序「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を被き 蘭は珮後の香を薫す」。この序文は、天平2年(730)1月13日、当時、大宰帥ダザイノソチ(大宰府の長官)として筑紫に赴任していた大伴旅人(665-731)の邸宅での宴に寄せられたもので、春の訪れや宴を祝う内容。寛永20年(1643)に出版されたものです。
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元号を改める政令ご署名原本 平成31年(2019)4月1日  内閣官房所蔵
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皇位継承の内閣告示について 平成31年(2019)5月1日  内閣官房所蔵
※国務大臣の花押の欄で一番上の行の右から2番目の石田国務大臣のところをみてみると、花押が2つあります。よく見ると下の花押が、隣の麻生さんのものと同じ。実は麻生さんが石田さんのところにかいてしまったそうです…。
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国会議員の選挙等の執行経費の基準に関する法律及び公職選挙法の一部を改正する法律 
ご署名原本 令和元年5月15日 内閣官房 令和元年法律第1号。 
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