明治大学平和教育登戸研究所資料館(中編)

第五展示室は、主に登戸研究所が長野県に移転した以降のことに関する展示です。
選挙区が悪化して本土決戦の可能性が手出てきたため、大本営とともに長野に移転した話、敗戦後の話、そして固く秘密となっていたはずのこの研究所の存在がどうして資料館として公開されるまでに至ったかの課程などが展示されています。

メスシリンダーなどの実験器具。そして謀略兵器。
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濾水機と濾過筒。細菌戦の中でもきれいな水を確保できるように作られたものです。
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暗室。当時の暗室が再現されているのですが、外から直で入る方法のほかに、壁がクランクになっていて何度も曲がって進まなくてはならない様式もあります。これで光が外から入らないようにしていたのです。
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レストスペースには、ポスターの他、ビデオが見られます。そして境界石があるのも見落としてはなりません。
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エントランスには、かつて第三科が使っていた五号棟を解体したときの部材が展示されていました。
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常設展示は以上ですが、ちょうどこのとき、帝銀事件の特別展も行われており、廊下に少しずつ展示されていました。
帝銀事件については犯人とされ、死刑の判決を受けて獄死したテンペラ画家が、実は冤罪なのではないかということでも知られています。その根拠はいくつかあるのですが、その一つが犯行に使われた毒物。画家が毒物に詳しくなかったというのもありますが、毒殺に使われた物質が即効性の青酸カリでは犯行自体が難しく、使われたのは登戸で開発された遅効性の毒物「青酸ニトリル」だったのではないか…。だとすると真犯人は軍関係者、それも登戸や七三一部隊の関係者と推定されています。にもかかわらず、どうして画家はずっと「犯人」とされてきたのか-。
(帝銀事件関連のリンク

展示の目玉は捜査本部で捜査の指揮をとっていた警視庁捜査一課の係長が残した『甲斐捜査手記』ですが、それは撮影禁止。
それでも触れてはいけない謎に踏み込むようなドキドキ感があります。
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さらに後編へ。
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