東京大学 懐徳門付近

東大本郷の東の端、懐徳門付近は、理学部生物学科・理学系研究科生物科学専攻や総合博物館があります。総合博物館の近くだからかちょっと気になる物がいくつか展示されています。

懐徳門は2007年に新設された門で、明治40年に建てられた懐徳館旧館(旧前田侯爵邸)に由来します。門扉脇には旧館の基礎である煉瓦造の遺構があります。

旧前田侯爵邸(懐徳館)西洋館の基礎
この煉瓦の塊は、平成6年に総合研究資料館の増築に伴う発掘調査で 発見された、旧前田侯爵邸(懐徳館)西洋館の基礎の一部である。玄関脇の地下1 階の小室部分にあたる。最下の捨コンクリートの上に煉瓦が しっかりと積み上げられ、中ほどにアスファルトの防水層、床支持材の溝、切石の幅木が回る。 この地区は、旧加賀藩主前田侯爵家の敷地であった。当主前田利嗣は 明治天皇行幸のために屋敷・庭園の整備を企画し、 明治40年に西洋館が竣工した。ルネッサンス風のデザインで地下2階、地上1 階の大規模な建築であった。大正12年の関東大震災の後、建物と庭園は東京大学の迎賓施設「懐徳館J となったが、昭和20年3月10日の東京大空襲で炎上し、取り壊された。 重厚で頑丈な基礎は、かつての優れた西洋館の姿を偲ばせるわずかな遺物である。


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赤門倉庫の工ントランスポーチと階段
このパーゴラは、元は赤門書庫のエントランスポーチでした。鉄骨を リベット接合によって組み合わせ、波型の鉄板による屋根が張られてい ました。ベンチはその正面入口の階段であり、石材を組み合わせて造ら れています。ともに赤門書庫の改修に伴い、この地に移築されました。
 赤門書庫は、東京帝国大学文科大学史料編纂掛(現在の史料編纂所) の書庫として大正5年(1916 )に建てられました。当時、史料編纂掛の本庁舎(現在の総合研究博物館小石川分館)とは渡り廊下で結ばれており、一階奥の防火扉を供えた保管庫には、とりわけ貴重な史料が収蔵されていました。 ポーチの正面トラス梁の右半分に山形に開けられた穴は、渡り廊下の屋根の接続部分の痕跡です。ポーチは手前の二本の柱と書庫の煉瓦壁に よって支持されていました。このたびの移設にあたって、煉瓦壁の代わりとなる鉄骨造の門型フレームを新設し、パーゴラとなったポーチを支 えています。柱の足元には、曲線を用いた鋳鉄製の柱礎があり、意匠上 の特徴となっています。


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沖ノ鳥島サンゴ礁岩塊
 この岩塊は東京の南方1740km、日本の最南端の孤島、沖ノ鳥島から採取された同島サンゴ礁の一部である。同島保全検討のために国土交通省京浜河川事務所が2007年に採取し、調査を行った後、東京大学総合研究博物館に寄贈された。同島はサンゴからなる卓礁で、本岩礁にもハナヤサイサンゴ、ノウサンゴ、トゲキクメイシなどのサンゴ骨格が見られる。


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ハナヤサイサンゴ
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ノウサンゴ
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トゲキクメイシ
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伝アインシュタイン・エレベーターの昇降装置(1926年3月竣工)
アルベルト・アインシュタインが乗ったとされる理学部旧一号館のエレベーターの昇降装置。理学部旧一号館の着工はアインシュタインん来日(1922年)より後のことであり、この昇降機が「アインシュタイン・エレベーター」と伝えられてきた理由は定かではない。一般相対性理論の基本となる等価原理はエレベーターの思考実験から着想されており、これがアインシュタイン来日の記憶と結びついて象徴化されたのかもしれない。エレベーター・カンパニー日本支社(現・日本オーチス・エレベータ)によるギヤ駆動のエレベーターである。電動モーターがギヤの減速装置を駆動し、この滑車にワイヤーを巻き取ってカゴを昇降させていた。カゴ本体は、JPタワー学術文化総合ミュージアム「インターメディアテク」に常設展示されている。

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