太田道灌と江戸・内閣文庫のあゆみ

またまたきました 国立公文書館
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今度の企画展は「太田道灌と江戸」
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太田道灌兵書 170-0220(115/177)
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江戸名所図会 174-0036
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北条家栽許印判状 古017-0341
豊島・宮城文書(としま・みやぎもんじょ)。印の上部にトラの絵があるのに注目。北條氏の朱印状として有名なもの。
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今回は「太田道灌と江戸」の展示のほかに「内閣文庫のあゆみ」も展示されていました。
公文書館の資料を見るとよく出てくる「内閣文庫」、これはどういうものなのでしょうか。早速見てみましょう。

内閣文庫とは
皇居大手門内にあった内閣所蔵古書・古文書を収容する文 庫を指します。明治18 年(1885)の内閣制度の創始に伴い、内閣文庫と呼称されました。 江戸幕府が所蔵していた紅葉山文庫本、昌平坂学問所本、 医学館本などを継承し、明治政府によって収集された多数の古書・古文書も収蔵されました。 昭和46年(1971)、北の丸公園に新設された国立公文書館内 に移転し、現在でも当館で所蔵しており、その蔵書数は約48 万冊です。

昌平坂学問所本
江戸幕府の設置した幕臣その他の教育機関である昌平坂学問所(昌平黌)に伝来した書籍。
 昌平坂学問所は、寛永7年(1630)林羅山が上野忍ケ丘に書院を開いたことに始まり、元禄4年:(1691)湯島の地に移り、寛政9年(1797)幕府の官学となり 「学問所」と改称されまLた。その蔵書は林家歴代の手沢本を基幹とし、文化年間以後、幕府がここで歴史・地誌の編集を行った際の資料や、昌平坂学問所で出版した、いわゆる官版もほとんど揃っています。市橋長昭、豊後国の大名毛利高標の旧蔵書は特に優れたものです。




御実紀 特075-0001(125)(45/55)

青木昆陽や近藤重蔵、高橋景保ら学術の分野で大きな功績を持つ人物たちが就任した書物奉行。その創始は寛永10 年(1633) 12 月20 日に遡ります。最初 に任命されたのは、小納戸番の関兵三郎正成、 星合猪(伊)左衛門具教(枚)、 大番の三雲内記成賢、西尾加右衛門正保の4 名でした。 展示資料は、通称「徳川実紀」とも呼ばれる、江戸幕府の正史です。林述斎、成島司直ほかにより、天保14年(1843)に完成しました。家康から10代家治に至 る歴代将軍ごとの治績を編年体で記し、逸話については付録としてまとめたもの です。全485冊。紅葉山文庫旧蔵。




御書物奉行誓詞 多012357
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御書物奉行誓詞
 幕臣が新たに役職に就く場合、誓詞(誓約書)を提出していました。展示資料は、慶応2年(1866)3 月21 日から11 月17 日まで書物奉行を務めた石川次左衛門政勝が、老中の水野和泉守と大目付の神保佐渡守あてに4 月21 日に提出した誓詞の写しです。 誓詞の中で、書物奉行を拝命した石川は、「御書物」(紅葉山文庫の蔵書)を大切に扱い、虫に食われぬよう入念に手入れをすること。無断で貸し出したり写し たりしないこと。出入りの業者から金品を一切受け取らないこと、等々を誓ってい ます。



御書物方日記 257-0002(158) (60/225)
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御書物方日記
書物奉行の業務日誌である御書物方日記は、宝永3 年(1706)から安政4 年 (1857)までの152 年間分、全209 冊が当館で所蔵されています。その内容は、 資料の調査や出納、目録の編集や改訂、蔵書の虫干し、保存状態の調査や書 庫点検など多岐にわたっています。 展示資料は御書物方日記第158 冊目、文化5 年(1808) 2 月晦日条。小普請 方の近藤重蔵が書物奉行を拝命した時の記事になります。

紅葉山文庫
 紅葉山文庫は、徳川将軍家が収集した書物や江戸幕府の記録類などを していた施設です。慶長7 年(1602)、徳川家康が江戸城内の富士見の号 重書を収蔵する文庫を創設したことに端を発します。3 代将軍家光の時代、寛永 16 年(1639)7 月には、江戸城の紅葉山に書庫が新築され、富士見亭文庫の書物 もここへ移されました。 文庫の蔵書数は、文政2年(1819)に約75,000冊、元治年間(1864-65)に約12 -13 万冊を数え、明治初年の段階で少し減じて、漢籍約73,000 冊、和書約 25,000 冊の合計10 万冊ほどの所蔵があったとされています。
 紅葉山文庫は、単なる権威の象徴や将軍の娯楽用のコレクションではなく、施政のための様々な情報を得る学術参考図書館かつ文書館の役割を果たしてい ました。また、書庫も、本丸と西丸の間、東照宮や歴代将軍の霊廟のある紅葉山 におかれており、幕府が書庫の存在を重視していたことがうかがわれます。なお、 「紅葉山文庫」は明治以後の呼称で、当時は「御文庫」や「官庫」などと称されていました。

書物奉行
紅葉山文庫は書物方と呼ばれる部署の幕臣達によって管理されていました。 そのうち、責任者に当たるのが書物奉行で、寛永10年(1633)12 月に初めて4名 の幕臣が任命されています。その後は時代により変化しますが、通常4 名が任命 されており、配下の書物方同心とともに、図書の収集や出納、蔵書や書庫の管理、 目録作成、文献調査等を業務として行いました。歴代の書物奉行の中には、青 木昆陽や近藤重蔵など、歴史上著名な人物も就任しています。 彼らの日々の業務の状況については、書物奉行の職務日誌である「御書物方 日記」を紐解くことで確認することができます。

近藤重蔵
歴代の書物奉行の中でも著名な奉行の一人として、近藤重蔵(名は守重。号 は正斎。1771- 1829)がいます。重蔵は、エトロフ島など北方探検で知られていま すが、文化5 年(1808) 2 月、38歳で書物奉行を拝命しています。その後、文政2年(1819)2 月に大坂弓矢奉行に転ずるまで、11 年間在職しました。 貴重書の取扱いについて建言し、目録の改訂に着手するなど、書物奉行の職 務に意欲的に取り組んだ近藤は、さらに紅葉山文庫の貴重資料を研究し、その 成果を後世に伝えました。 重蔵はその後、長男の富蔵が起こした事件に連座して近江国大溝藩主分部家(現在の滋賀県高島市)に御預けの身となり、文政12年(1829)、同地で59 歳 で没しました。




右文故事 218-0064(4/35) 御本日記続録・中

御代文事表・乾の表紙も展示
右文故事
近藤重蔵は紅葉山文庫の貴重書について、その来歴を考証し、その成果を後 世に伝えました。展示資料は、「御本日記附注」(家康没後、江戸城に移された書 籍について林羅山が記した「御本日記」の解説)、「御代々文事表」(家康から吉 宗まで、歴代将軍の学芸関係年表)など、紅葉山文庫の沿革と貴重書に関する 考証をまとめた書。文化14年(1817)に幕府に献上されました。



論語集解 275-0100(3/24) 七八の表紙も展示

経脈図説 195-0101
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経脈図説(けいみゃくずせつ)
 漢方医学では、「気」が全身をめぐり流れるルートを編と称し、経絡にある数 百箇所の経穴が、病気の診断や治療(銭灸治療)の要所(つぼ)とされてきました。 展示資料の『経脈図説』は、体内をめぐる経絡と多数の経穴の位置を、江戸時代前期の医者である夏井透玄が図示、解説し、その後を継いだ玄碩が備考と摘要を記して完成しました。元禄16 年(1703)刊行。全7 冊、医学館旧蔵。

医学館本
 幕府の医官多紀氏が明和2 年(1765)創設した私塾躋寿館は、寛政3 年 (1791)幕府直轄となり、医学館と改称しました。その蔵書はいずれも古書に詳し かった多紀氏歴代が収集、校訂したもので、紅葉山文庫本の医書と合わせて、 本文庫が明清医学書の宝庫といわれている所以となっています。



民安占子家地処分状(東大寺文書の内)  古032-0530

歴史課事務章程 単01438100 (7/32)

歴史課事務章程
明治6年(1873)に制定された「歴史課事務章程」です。図書掛の職務として、「楓山秘閣ノ図書ヲ管理シ出納ヲ掌ル 勧納書籍ハ秘閣印章ヲ押シ課長ノ検査ヲ経テ収蔵ス 諸課省使等借覧ヲ請ヘハ証券を照シテ出納」することを規定しています。



官中ヘ文庫ヲ設置シ各庁ノ典籍蒐集ノ件 公副03456100
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官中ヘ文庫ヲ設置シ各庁ノ典籍蒐集ノ件
明治16年(1883)5月、太政官文書局記録課が作成した上申書には、「太政官ニ文庫ヲ設置スル事」等が掲げられています。同年11月に決裁を経て、翌17年1月に「太政官ニ文庫ヲ設立シ各官庁所蔵ノ書籍蒐集管理及取扱手続」(太政官達第11号)として公布されました。



文庫仮設費ノ件  公副03665100
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文庫仮設費ノ件
 宮内庁より借用した土地に、明治17年(1884)、総工費9,034円をかけ、木造2階建ての書庫1棟、事務棟1棟が建築されました。展示資料は、太政官文庫の新設に係る見積もりです。



国立公文書館設置についての要綱 平23公文00998100
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国立公文書館設置についての要綱
 昭和38年(1963)7月24日、公文書保存制度等調査連絡会議が決定した「国立公文書館設置についての要綱」です。国立公文書館附属内閣文庫について「公文書館に古文書、古書その他図書の管理及び国政に関する重要資料となる文書資料等の蒐集を行い、これらを行政機関などの利用に供するとともに、学術資料として研究者等に公開を行うため国立公文書館附属内閣文庫を置く」としています。



皇居周辺北の丸地区の整備について 平11総02595100(1,3/5)
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皇居周辺北の丸地区の整備について
展示資料は、昭和41 年(1966)に閣議了解された「皇居周辺北の丸地区の整備について」です。北の丸地区には、「既存の科学技術館及び日本武道館のほか、今後は、国立公文書館及び近代美術館以外の建築物の設置は、一切認めないものとし、これら両館の建設敷地は、首都高連道路4号線の南側」とすろことが規定されています。この閣議了解に基づき.北の丸公園の敷地に皇居東側地区から内閣文庫を移転するとともに、国立公文書館を建設することとなりました。


総理府設置法の一部を改正する法律 平11総01793100 (5/31)

総理府設置法の一部を改正する法律
 昭和46年(1971)、総理府設置法の一部を改正する法律により、総理府に附属機関として国立公文書館が設置されました。あわせて、総理府令によって、同館に庶務課、公文書課及び内閣文庫が置かれました。



「江戸の花だより」で展示されていた庶物類纂の本箱 も展示されていました。
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