大塚遺跡見学会 (前編)

かつて、都バスの大塚車庫があったところです。2015年の3月に閉鎖。その後、入口の扉が閉まったまま2年半が過ぎたのですが、跡地は現在、「文京区大塚遺跡」として発掘工事をしています。

文京区大塚遺跡 調査概要
1.調査要項
遺跡名:大塚遺跡(文京区遣跡番号1)
調査年次:第3次
所在地:文京区大塚一丁目地内 (東京都交通局旧大塚支所跡地)
チョウさ面積:6100m2 主な時代:近世
調査主体:公益財団法人東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センター
2.遺跡の位置と環境
(1)地理的な環境
 大塚遺跡は、武蔵野台地の東端にあたる標高 27rn前後の小日向台に立地しています。地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅の西側に隣接し、現春日通りに面する一角を占めます。小日向台地は南側に流れる神田川(旧江戸川〕と西側の音羽谷、北側のの小石川谷、東側の茗荷谷に画されており、 今回の調査範囲は茗荷谷の谷頭から台地に上 がった所に位置しています。春日通りをはじめ、茗荷坂・釈迦坂・切支丹坂や調査地点の周辺の道路は、近世の絵図でも確認でき、江戸時代の街区を色濃く残している地域と言えます。
(2)歴史的な環境
 調査区のある一帯は、江戸時代の初期には大名の安藤家の下屋敷の一角に組み込まれていました。
 安藤家は初め、下総小見川を領し、上野高崎、備中松山、美濃加納と移り、 宝暦6年(1756) から幕末まで陸奥磐城平藩の領主を勤めました。それが元禄10年(1697)の火災を契機に、被災者の代替地として、旗本屋敷として領地替えが行われます。
 以後、 居住者の入れ替えや屋敷割りの変遷をたどりながら、 幕末まで一貫して旗本屋敷が存在していました。明冶時代初期には茶畑となり、 その後、一部が宅地化されます。大正期には東京市の市電車庫、昭和3年には都営バスの営業所が開設しています。
 過年度の調査ては、わずかに縄文時代~弥生時代の土器も発見されています。江戸時代では旗本屋敷の建物跡や井戸跡、溝跡、地下室などが発見され、屋敷内の土地利用の実態が明らかになりました。また、深さ5~6mの縦坑から横方向の坑道が掘られた「地下坑」が見つかっ ています。この「地下坑」は本郷台地に特有のものですが、作られた年代や用途が不明の謎の遺構です。


そんななか、文化財ウイークでもある11月3日に文京区大塚遺跡見学会が行われました。
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市電の整備ピット。横に4列並んでいます。たしかここの上に都営バスの営業所の建物があってたはず。。。
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と思ったらバス営業所の建物基礎もしっかりありました。
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で、その横にある大きな横にした円柱形の物は…
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バス車庫のオイルタンクでした。
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一方こちらは市電の整備ピットを横方向からみたもの。
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さらに、階段から地下室(むろ)へ。階段の段のところに穴があり、柱をつけていたのではないかと推測されています、また、地下室も穴があり、ここに屋根があったのでは?と考えられています。
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別の地下室。
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市電車庫の排水枡
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柱跡群(ちゅうせきぐん)
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溝跡
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植栽痕
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井戸
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小型土杭 パイロンのあるところはどうもトイレだった?
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バス整備ピット。確かにこのタイルでした!
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かつて営業所や車庫があったところです。今はわずかに基礎が残っているだけです。大塚車庫を保存する動きもあったのですが…。
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